日記

子供どころか結婚する予定もない以上、私が生きた事実を記憶する次世代の人間は生まれてきようがない。猫は私のことを覚えていてくれても、私より先に死んでしまうのは確実だし、元より彼らは記憶を次世代に語りかけることはしないのだ。それに去勢してるし子孫も残せない。

となれば、自分の記憶は自分で記録していくしかない。誰かが読むことを期待すると言うわけではなくて、確かに自分は生きてきたのだと実感するためのツールとして、だ。

 

子供というのは、自分の身を分けた半身のようなものであり、そして自分自身を写す鏡でもある。

子供の仕草、喋り方、言葉遣い、考え方、感じ方、好き嫌いから癖まで、親は子供のあらゆるところに自分の姿を見る。子育てとは、自分の生きた証を子供に刻み付けるようなものなのかもしれない。

もちろん、子供は親と全く同じにはならない。よく似た特徴を持っている可能性は高いが、外見が似ていなかったりするし、中身にしても、いずれ独自の思考によって独自の価値観を手に入れる。そうでなくては意味がない。コピーを作るなら単性生殖で十分だ。でたらめでランダムな交配は多様性を生み、その中で環境に最も適応したものが繁栄する。自分の一部を反映しながら、しかし独立した全くの別人。それが子供だと思う。異なるからこそ反映されている自分がよくわかるのだろうし、似ていて嬉しくなるのも、何もそんなところまでになくても良いだろうにとがっかりするのも、あまりに似ていて同族嫌悪するのも、それは「別人」だからこそというものだろう。

そんな別人の中に自分自身が感じられるのなら、それは自分が確かに生きてきたのだと実感する、強力な証なのではないだろうか。しかも、子供は親という人間を記憶し、それを次世代に語り継ぐこともできる。

大きくなった子供と一緒に、「こんなこともあったね」と昔の思い出を語る行為というのは、「その頃はお前もあんなに小さかったのに、よくぞここまで育てたものだ」という満足感を喚起させるのだろうなと、この歳になって想像することができるようになった。子供にとっては恥ずかしい思い出もあって、昔の話なんだからそんなこと言わなくても良いのに、と思うのは思春期では常だったが、あれは別に馬鹿にしたいわけではなくて(いやもちろんそういう場合もあるだろうが)、よくぞここまでになった、という思いもあるだろう。そういう親心は親になって初めてわかるものだと思っていたが、人間の想像力も捨てたものじゃない。親にならなくても、今ならわかる。まあ、子猫を育てた経験が大きく影響しているのは間違いないが、本当に親になったわけではないのだ。

 

で、だ。親の心がわかっても、私は親ではないし、親になることもないだろう。なので、こうして考えたことや思ったこと、感じたことや経験したことを書き残しておいて、あとで読み返して(残らないかも知れないが。デジタルコンテンツは結構簡単に消える)、馬鹿なことを考えていたものだ、あの頃は若かったのだなあと、しかしそんな若さを思い出して微笑むような楽しみを残すことにしようと思ったのだった。思い出を語る相手?壁です。

感受性とストラテラ

ADHDの症状を抑える薬として、ストラテラがある。

一錠40mgで、私は1日に80mgを服用する。

ストラテラの効果は様々だが、私の場合は思考の散らかり具合がマシになり、少し頭がスッキリする。

そして最も大きい効果、もとい副作用は、感受性が抑制されることだ。

これはストラテラの優れた効果でもあり、副作用でもある。

高すぎる感受性は様々なストレスにさらされる社会生活では「生きづらさ」の大きな要因となる。

この感受性が抑制されることで、つまりは今よりも鈍感になることで、感じすぎていた痛みが痛みでは無くなるのだ。

そのかわり、音楽や映画、小説、漫画などを楽しむとき、身を焦がすような感情を生み出していた感受性はすっかりなりを潜めてしまう。

 

少しでも生きやすくするためにストラテラを飲むか。

それとも鋭敏な感受性を最大限に発揮し、痛みを抱えながら生きていくか。

悩ましいところではあるが、何のことはない。

必要になれば飲めばいいし、そうでなければ飲まなければいいのだ。

まあ、ストラテラは効果が出るまでに時間がかかるので、今すぐに効果が欲しいと言う場合はどうしようもないのだが…

 

 

追記

感受性が元の水準に戻ったからか、ネガティブ思考によるメンタルの落ち込み方が酷くなった。というより、これも元に戻ったと言うべきだろう。

ストレスを引き摺りやすく、いつまで経ってもクヨクヨしてしまうし、全身の倦怠感やずっと疲れているような感覚、疲れやすい体質が全面に出ている感じがする。なかなか前向きになれないし、嫌なことも忘れられない。

 

人が怖い。悪意を向けられるのが怖い。迷惑をかけるのが怖い。嫌悪が敵意に変わるのが怖い。

自分が迷惑をかけているのでは無いか、言わないだけで物凄くイラつかせているのでは無いか。疑いが確信に変わるような上司の態度。言葉の端々から感じられる私への嫌悪感。ああ、私はこんな世界に生きていたんだった。これを気にしないで生きていられたのが嘘のようだ。

恐怖が増せば増すほど、細かい部分に目がいくようになる。目線、表情、態度、口調や声の高さ、雰囲気…あらゆる情報が嫌でも入ってくる。可能な限り顔を見ないようにしても、目線を合わせないようにしても、しかし情報を拾ってしまう。拾えてしまう。被害妄想なのかもしれない。でも本当にそうだろうか。いいや、そんなことはない。明らかにこの人は私を嫌悪している。それが気になってしまう。別に好かれたい訳ではなくて、とにかく怖いのだ。嫌悪が敵意に変わり、悪意に変わり、攻撃されるのが。何かを指摘されるにしても、言葉の端々に呆れたような、ふざけているのかというような苛立ちが感じ取れる。怖くて手が震えてくる。心臓も早鐘のようだ。汗が噴き出して、頭が真っ白になる。久々に精神安定剤を飲んだ。ワイパックスだ。ストレスで胃腸が痛くなってお腹を下す。まあ下痢はいつものことだが…

 

自分のストレス耐性はこんなにも低かったのかと驚いたくらいだ。ストラテラを飲んでいたときは、相手の嫌悪感に気が付いてもここまで動揺したり恐怖を感じたりするということはなかった。ただ少し残念に思い、しかしあまり気に留めたりはしなかった。

それが、ストラテラをやめた途端にこれだ。まるで子羊のようだ。

人間が怖くて仕方がないというかつての自分を完全に思い出した。

 

これで良く2年間も社会人として生きていられたものだ…この1年がストラテラによってどれだけストレスフリーに過ごせたかが分かる。いや、全くストレスがなかった訳ではない。働いていればそれなりにストレスを受けるが、娯楽はあるし、何より猫たちがいる。ストレスに耐えられるのは猫のおかげだと思っていた。違った。薬だ。ストラテラなのだ。ストラテラをやめてからは、猫がいてもストレスを発散しきれなくなった。だんだん溜まってきて、今は結構つらい。

 

ストラテラ抗鬱剤に似た作用があると医師が説明してくれたのを思い出す。

やはり服用によってもたらされる「鈍感さ」が精神的な負荷を和らげてくれているのだろうという予測はそれなりに的を射ていそうである。

 

フィクションを楽しむ上では、鋭敏な感受性は何よりの宝だ。あらゆる情報が感情を昂らせてくれる。

しかし、社会に生きる上ではこの上ない障害となるのだ…

せっかく持って生まれたものなのだから、これを武器に生きていけたらいいのにと思うが、残念ながらこの武器は私自身を傷付ける諸刃の剣なのだった。

趣味に生きる人間としては、この感受性を発揮できないのは大変残念に思うのだが、生きるのが辛くなってしまっては本末転倒というものだ。

猫を育み、フィクションを楽しむために生きているのに、辛くなったら何も楽しめなくなってしまう。

となれば、やはり薬に頼るしかないのだ…

効果がイマイチはっきりしないと思っていたストラテラだったが、全然そんなことはなかった。

どうやら私は、この薬を飲み続けなければ生きづらさをどうにもできないようである。

コンサータだけじゃ、駄目なのか…

 

アスペル・カノジョ 感想

現在、コミックDAYSにて連載中のアスペル・カノジョについて。

 

comic-days.com

 

がきやの関東進出を熱烈に推している事で知られる「グレイメルカ」などのフリーゲーム作者として知られる、萩本創八氏によって公開されていたWEB漫画が原作。

 

私が出会ったのは原作で、Twitterで話題になっていたものの、タイトルから重い内容を想像して避けていて、結局気になってしかたがなくなって読んだらドハマリした、という作品。当時公開されていた最新話「憂鬱の日(後編)」まで一気に読んで(読んでいる間に最新話が更新された)、ほとんど毎日更新される話を読み続けて、私が生きる上で感じてきたつらさ、それを生じさせている自分と、その自分を責め続ける自分自身を、その醜いと思いつつやめられなかった生き方を、認めてもらった気がした。そうやって生きている私を、上辺だけでではなく本当に否定しないでいてくれる人が、現実にいるのだと教えてくれた、と感じた。

私の周囲にいる人間が誰も私を理解しようとしなかったわけではないし、共感してくれなかったわけでもない。「そんなに自分を否定することはないんだよ」とよく言われた。否定してはいけないのか。否定しながら生きていてはいけないのか。なら、いま生きている自分は生きてはいけないのだろうか。どんな自分になったら良いというのだろう。分かっている。ナイーブな考え方だ。今の私はもう少し前向きで、自分を否定しながら生きることが悪いことだとは思っていない。それはそれでひとつの考え方であり生き方だ。

話がそれた。それてもいいからとにかく書かなければ完成しないと思って書いているのでこれはこれでいい。とにかく話はそれるし、まとまりもないけれど、私は書きたくてこの感想を書いている。この感想を読んで「アスペル・カノジョ」を読みたくなったという人はいないかもしれないが、私はここに作品への思いと感謝を記しておきたい。だから、書く。

 

そう、「否定しながら生きていく」ことを、この作品に許容されたと思ったのだった。過去に苦しむことも、その過去を否定することも、過去を忘れられないことも、過去の過ちを繰り返して消えてなくなりたくなってしまうことも、今の自分が誰もが簡単にこなせることをできないことも、集団に馴染めず上手くコミュニケーションが取れないことも、伝えたいことを上手く伝えられずに何を言っているのか分からないと言われることも、どうして自分には当たり前ができないのだろうと悩むことも、全部。

でも、生きる苦しみは本物で、それに耐えるのはつらい。そのつらさは作品を読んだだけで全て解決されるわけではなかった。自分にはできる、という自信が必要なのだ。

そういったものは私にはなかったし、これからも身につけるのは難しいと思った。何しろ誰もができることができないのである。

アスペル・カノジョを読んで発達障害に興味を持ったこともあって、いろいろ調べるうちに自分が悩んでいることは大人のADHDといわれ、初めて社会に出てから上手く適合できずに気がつくことが多いということを知った。多くの症状が当てはまった。病院に行き、検査を受け、診断がおりた。処方されたコンサータはまるで麻薬か何かではないかと思うほど集中力が続く薬で、しかし反動も大きく、仕事を終えればぐったりとした。

しかし、この変化は劇的なものだった。できなかったことが、できる。できるのだ。もちろん全てがうまくいくようになったわけではないが、7割8割だめだと思ってたことが4割とか3割に減ったらそれはもうものすごいことなのだ。私にとっては。

チームが変わり違う仕事を始めたこともあって、私の仕事は回り始めた。配属されたチームにいた人間が優秀だったのは幸運中の幸運で、彼のマネジメント能力は凄まじかった。適材適所、自分の能力を発揮できる状態になった私は、自分にはこんなにできることがあったのか、と自分で驚いた。薬の効果もものすごいが、マッチングの効果もものすごい。ハマれば強くなれるのだ。私がハマれるのは読書かゲームくらいだと思っていた。ハメたことはないしこれからもないだろうが。

 

また話がそれたが、要するに、それだけ劇的な変化をもたらすきっかけになったのが、「アスペル・カノジョ」という作品なのである。

感情移入のあまりに引きずられ、私自身が精神的にやられてしまうこともあったが、それこそ私が経験してきた苦しみが描かれているからだ。それまで、これほど自分の苦しみを共有する経験はなかった。創作物は消費者が一方的に感情移入するものであり、作品内の登場人物や作者と感情や経験を共有する(共有とは双方向性があるものだ)ことは、まずない。感想をTwitterでつぶやいたりすれば、作者からリプライが飛んでくるかもしれないが、作品を鑑賞し、感情移入しているその場で共有することはできない。だが、この作品は、この作品を書いた人は、間違いなく、ここに描かれている苦しみを知っている。知り抜いている。私の苦しみも、知ってくれているのだ。それは正確には錯覚なのだが、この種の苦しみを知っていることには変わりないだろう。そうでなければこのような話が書けるだろうか。心情を、その苦しみを、ここまで描けるものだろうか。描ける人もいるかも知れない。でも、それでも…

そんなことを、読んでいる間に考えずにはいられなかった。この作品を生み出した萩本さんに会って、感謝を伝えたかった。あなたの作品は少なくとも私という人間を一人救ってくれたと。横井さんを訪ねた斉藤さんのように。幸いにもオフ会という機会があって、私の思いは遂げられた。自宅に突撃する必要はなかった。

私にとってのアスペル・カノジョは、斉藤さんにとっての内外開拓のような作品だと言っても良いかもしれない。彼女のように、ずっと毎日読み返すというのは流石にできないが、米子編くらいまでは毎日のように読み返していた。今は連載版を追う形で読み直している。連載版も素晴らしい。原作の良さを活かしつつ、森田先生ならではの味がある。翻訳作品の訳者が変われば作品の味が変わるように、指揮者が変わればオーケストラが奏でる音楽の味が変わるように、森田先生によるアスペル・カノジョには、原作とはまた違う良さがある。最初こそキャラクターデザインや表情に違和感を覚えることもあったが、それは慣れていないだけのことであって、いい表情をしているのだ。原作への強すぎる思いは時に目を曇らせる。私には見えてなかった。見えるようになってよかったと思う。素晴らしい連載版を描いてくれている森田先生にも感謝したい。

 

先生といえば萩本さんも先生なのだけど、何だか恥ずかしくて呼べないし、かえって距離ができてしまう気がして、敬意を込めたいという思いとぶつかりつつも、やっぱり萩本さんの方が落ち着く。萩本さん、先生って呼んでないですけど、この作品を世に出してくれたこと、私のクソ長くてまとまりのない感想というか解釈みたいな文章をしっかり読んで返信してくれたこと、作品にまつわる様々な話を聞かせてくれたこと、私の話を聞いてくれたこと、私を関わってくれたこと、本当にありがとう。感想書く書く言ってなかなか書けなくてごめんなさい。完璧を目指しすぎました。もう全部消して頭に浮かんだことをひたすら羅列することにしました。結局クソ長くてまとまりのない感想なんだか自分語りなんだかよくわからないものになってしまった…

 

細かいところを言えばこの話が好きとかこの場面が凄く心に響いたとかあるのだけれど、それを始めるとまた長くなるし終わらない。読んでない人には読んでもらえばわかるし、読んでる人はわかってる。それでいいのだ。語り合う機会があれば語ればいいし、こういう話は語り合ったほうが楽しい。

だから、ここには自分が言いたいことを書いた。話がそれまくっているが、それも含めて言いたいことなのだと思うことにする。

生きることが苦しい人も、そうでない人も、興味が湧いたら読んでほしいし、読みたくなかったら読まなくても良い。

私はこの作品が、生きる苦しみを抱えている人の救いになると信じているが、必ずしもそうなるとは限らないということも知っている。だが、それでも、と願わずにはいられないことも確かなのだ。

 

私はこの作品に出会えてよかった。

あなたにとってもそうであれば嬉しい。

 

置いて行かれた子猫

 

2018年4月9日、オスの子猫を保護した。
 

 
少し前から、庭で子育てしていた野良猫がいたのだが、朝突然移動を始めた。
子猫は全部で4匹いることを確認していたが、そのうち黒毛の2匹を連れて、子育ての場を移すようだった。
しかし、もう2匹子猫がいるはずなのに、母猫は戻ってきてうろちょろはするものの、子猫を連れて行こうとしない。
しばらく様子を見ていたが、2、3度姿を見せた後、どこかへ消えてしまった。
 
野良猫が子育てをしていた場所を覗いてみると、そこには残りの2匹がいた。
しかし、そのうち1匹は既に息を引き取っていた。
 
どうやら、子猫が1匹死んだために、母猫は子育ての場を移すことにしたようだ。
もう1匹生き残りがいたのだが、その子猫は風邪を引いているようで、あまり鳴かなかった。
そのため、母猫に存在を認知されず、置いてきぼりを食らったのだろう。
 
我が家の庭では以前にも似たようなことがあり、そのときは母猫が戻ってくることを期待して様子を見たが、結局戻らず、子猫の様子を見に行ったときには既に息を引き取っていた。
 
同じ轍は踏みたくないと、今回は保護することにしたのだった。子猫の面倒を見るのは久々であり、動物病院にてアドバイスしていただくことにした。
亡くなった子猫を埋葬してやると、私は生き残った子猫を連れ、動物病院へ向かった。
病院で診て頂いたところ、いわゆる「猫風邪」に感染していることがわかった。なんでも、野良猫の8割は感染していると言われているらしく、残念ながら珍しくないとのこと。
それ以外では特に問題は見られなかったが、とにかくミルクを飲むかどうかが勝負だと言われた。飲まなければ、強制授乳するしか無い。そのときはまた、病院に連れていくことになる。
 
私は帰り道に子猫用哺乳瓶と粉ミルクを買うと、早速子猫にミルクをあげることにした。
まずは濡れたティッシュでお尻を刺激し、排便を促す。うんちは出なかったが、おしっこは出た。排便後の子猫は食欲が出て、ミルクを飲みやすくなる。
 
しかし、私が不慣れなのもあって、なかなか飲んでくれない。四苦八苦した挙げ句、ほんの少しだけ飲ませることに成功したが、あまり飲まないようでは栄養失調になってしまう。
そうこうしているうちに、子猫は寝てしまった。諦め半分で寝ている子猫の口に哺乳瓶の乳首を突っ込むと、先程までの苦労が嘘のようにミルクを飲んでくれた。
これなら大丈夫だろう。口の周りを拭いてやり、ぐっすり眠る子猫を眺める。
 
なんて小さな身体なのだろう。
強く握れば壊れてしまいそうだ。その身体に宿る生命の息吹を感じて、私は暫し黙した。
 
保護したからには、この生命の最期まで守り続ける義務が、私にはある。
何としても守らねばならない。覚悟は決まっていた。そうでなければ保護などしてはいけない。
生命を預かるとはそういうことだ。
小さくくしゃみをしながら眠りにふける子猫を見て、私も眠くなってきた。
数時間後にはまたミルクをやらねばならないが、少しの間、私も休ませてもうらうことにした。
 
この子猫に、名前と付けてやらねばなるまい。
いくつか候補が思い浮かぶ。シュラキン(酒乱童子金太郎号)、ソロン、パイワケット、パンサ、ラテル、サヴァニンなど。
思いついたのはどれも神林作品に登場する猫たちの名前だった。ラテルは例外だが。
さて、どれにしよう。呼びやすく、かつ、子猫の将来を祝福する名にしたい。
候補に残ったのは、ラテルとソロンだった。
ラテルは宇宙海賊に襲われたキャラバンの唯一の生き残り。ソロンは飼い主の戻らない家を脱出して生き延びた猫だ。
どちらも、力強く生きて欲しいという思いから選んだ名だった。
しかし、ラテルは後に宇宙海賊課の一級刑事となり、海賊絶対殺すマンとして大暴れする。
これはエネルギーが大きすぎる。それならば猫らしく、独りでも強く逞しく生きるソロンのようであって欲しい。
 
そうして、子猫の名前はソロンに決まったのだった。
 

神林長平「だれの息子でもない」 再読感想

 

 「だれの息子でもない」を初めて読んだとき、私にとって「ぼく」と「親父」のやり取りは一種のギャグパートのようなもので、心を引き付けられたのは、

「人間が整備したインフラは最早自然の一部であり、動物たちが自らの生存のためにそれを利用しないはずがない」

というアイディアだった。


 このアイディア自体は、例えば人が整備した山道を動物たちが利用するというような、ごくありふれたもののように思えるが、利用されるのがネットインフラだというのだから驚きだ。さすがは日本SF界の金字塔、常に最前線でSFを書き続けてきた作家、神林長平はまさに日本を代表する最高のSF作家だ、と興奮せずにはいられなかった。

 

 しかし、あれほど憎んだ父を亡くした後で発売された文庫版を再読したとき、私のこの作品への印象は一変してしまった。

 

 私にとって、「だれの息子でもない」という作品は、「近未来にあり得るかもしれないネット世界と、動物たちが将来的にネットインフラを生存のために利用し始めたり、正体不明のファントムが発生する可能性を、父と子のやり取りを通じながら描く物語」だったのだが、再読後は「父と子の和解の物語」というものへすっかり変わってしまったのだ。

 

 物語の冒頭、主人公がいかに父親に対して憎しみを抱いていたのかが語られるのだが、これはもうほとんど自分そのものだ、と、初めて気が付いた思いで読んでいた。
 以下は、私の父に対する思いを一部文章にしたものだ。

 

私の父は出奔まではしていないが、我こそは法律なり、という人物で、おれは絶対に正しいという態度を崩すことはなかった。
仕事から帰ってきては酒を飲み、休日になれば酒を飲み、人生そのものが酒である、というような男だった。
それだけならただのアル中なのだが、酒癖が悪いのが厄介だった。些細なことで腹を立てるのだ。
その度に私は我慢を強いられた。ひたすら顔色を窺い、父のご機嫌取りをしていた。
家庭を壊したくないと、子供心に必死だったのをよく覚えている。
常に「理不尽だ」という思いを胸に抱えていて、それは父が脳出血で倒れるまで続いた。

 

 これと似たような恨み言が、作中にも度々登場する。
 ただ、私と物語の主人公の「ぼく」と決定的に違ったのが、私の父親に対する印象が、直接父親に触れることで形成されたのに対し、「ぼく」の父親像は、幼いころのわずかな記憶と、親類たちから聞かされた父親への罵詈雑言によって形成されたという点だ。

 

 私の父への印象は、リアルタイムに父に触れることで形成されたものだから、私の主観に基づいている。
 しかし、「ぼく」の父への印象は、幼いころのわずかな主観、自分と母を置いて出奔した父への恨みと、それ以外の大部分は他人からの印象によって形成されているのだ。

 つまり、「ぼく」の父に対する恨み、思いというのは、家族を見捨てた父への恨みを核として、そこに親類からの影響が肉付けされたものだと言える。

 

 人間は、成長の過程で己の価値観を形成していく。日々の体験や学習などから変容していく価値観の中で、人は他人に対する評価も変容させていく。今まで気が付かなかったけど、自分も同じことをしてみたら物凄く大変だった、実はあいつは大したヤツだったのだ、とか、今まで嫌なヤツだと思っていたけど、話をしてみたら実はそうでもなかった、とか。そういったことを、自分に関わる全ての人間に対してするわけで、親もまた例外ではない。
 
 人が人に対する評価を決定するのは、他人からどう評価されているか、という風評もあるが、一番は直接的な会話だ。相手の価値観や性格といったものを、会話を通じて探り出していき、人物像を形成して、自分の価値観をもとにして評価していく。
 親に対しても、これは変わらない。日々の会話、他愛ないおしゃべり、進路の希望と要望の対立による喧嘩など。様々なコミュニケーションを通じて、親をいう人間を評価していくことになる。

 ところが、「ぼく」は父親に対してその段階を踏むことなく、幼いころの印象と、周囲の人間から受ける印象によって評価しているのだ。つまり、対話を繰り返し、自分自身の価値観に基づいて父親の評価をする、ということをしてこなかった、ということだ。

 

 ここで、「だれの息子でもない」のあらすじに触れよう。単純に説明するならこうだ。

 

 「ぼく」の仕事は故人となった市民のネットアバターを消去することだ。そんな「ぼく」の前に、死んだはずの親父のアバター=ネットファントムが現れる。「ぼく」は親父のネットファントムとの会話を通じ、親父に対する認識を改めていく。そして親父のファントムが消えたとき、「ぼく」は悟る。人生とは、記憶だ。記憶した人間の人生の中でアクティブに変容しつつ、記憶として生きるのだ、と。

 

 「ぼく」は物語の中で、何度も父親のアバターと会話を重ねることになる。その中で、彼の父親に対する評価は変わっていき、最終的には、物語序盤で語られる、ただ恨めしいだけの父親像は変容するのだ。これは正しく、会話を通じて、「ぼく」自身の価値観で父親という人間を評価した結果だ。そして、「ぼく」の父親は実はこんな人間だったのだ、と気が付いたとき、「人生とは、記憶だ」という悟りが降りてくる訳である。

 

 「ぼく」は、本来ならば不可能であったはずの、死んでしまった父親との会話を通じて、父親像を自分自身の手で再構築することによって、父親との和解を手に入れたのだ。和解というよりも、理解といった方が正しいかもしれない。
 それは、自分の父親を、一人の人間として認める、という行為に他ならない。だからこそ、物語の終わりに、それまでのようにクソ親父、ではなく、「そうだろう、親父(とうさん)」と同意を求めたのだ。

 

 この物語の構造を理解したとき、今まではアイディアを書くために用意した手段だと思っていた父と子の対話が、実は物語の主要部分である、ということに気が付いた。この物語の骨子にあるのは、父と子の対話と、そして和解なのだ。

 

 私自身の話に戻そう。父が死んだとき、私の心に去来した思いは、「やっと解放された」というものだった。私は父親から受けた精神的な虐待に深い恨みを持っており、それは父が死ぬまで変わることはなかった。「だれの息子でもない」のソフトカバー版は父が死ぬ前に読んでいたが、それで父への思いが変わることは無かった。
 父の死後、私は社会で生きていくことの難しさ、辛さを改めて痛感し、精神的に大変疲弊していた。元来集団に馴染むのが苦手で、なんとかグループに所属できたとしても、心理的にいつも孤立していた私には、会社の部族的なコミュニティに参加することは、苦痛以外の何物でもなかった。

 

 そんな時期に、「だれの息子でもない」の文庫版は発売された。ソフトカバー、文庫、電子書籍の三媒体での神林作品コンプリートを目指している私にとっては、買わないという選択肢はない。すぐに買って、親父も死んだことだしいい機会だ、と思って、再読したのだ。
 そして読み終えたとき、私の心に湧き出てきた思いは、「私も親父とこんな会話を交わしたかった。お互いを認め合って、価値観をさらけ出し、それをぶつけあいたかった。たまには酒でも飲みながら、会社での愚痴を聞いてもらって、親父がおれくらいのときにはどうだったんだ、とか、そういう話をしたかった」というものだった。


 部署でのバーベキューイベントに溶け込めず、飲み会でも会話に混じることも出来ず、普段の仕事でも何かと孤立しがちな私が、これは社会でやっていくのは難しいかもしれない、と弱気になったとき、その思いが胸の内に蘇ってきて、帰りの車の中で嗚咽を漏らしてしまった。

 いま、親父が生きていてくれたら、どんなに良かっただろう。健康で生きていてくれたなら、私の社会への挫折の思いを、親父は横で聞きながら、何かアドバイスしてくれただろうか。それは、私の虫のいい思いに過ぎないのかもしれない。それでも、私自身の素直な思いだった。


 思い返してみれば、父は父なりに頑張っていて、確かに酒癖はひどく、それによる精神的虐待は許せるものではなかったが、スキーやキャンプに連れて行ってもらったり、面白い話を聞かせてもらったり、キャッチボールやトラックボールで遊んでくれたり、彼は彼なりに子供を愛していた。愛情表現の仕方は間違っていることも多かったが、父は決して私たち(私には妹がいる)のことを嫌っていたわけではなかったのだ。

 

 気が付くのが遅すぎた、と私は思った。だが、気が付くことができて良かった、とも思った。そうでなければ、私は自分が死ぬまで父親を恨み続けただろう。

 一応、父が死ぬ前にそれまでの思いをぶちまけて、謝罪の言葉を引き出し、それで許したことにしていたが、その時の父は脳出血の影響で言語野を破壊されており、多少の会話は可能でも、脳出血前のような明快な会話は不可能な状態だった。認識能力も小学生並みのレベルまで落ち込んでおり、とてもではないが、「だれの息子でもない」のような親子の会話など、出来るはずもなかった。だから私の恨みもそれで消すことはできず、きっと胸の内に抱えたまま死んでいくのだろう、という予感があった。

 

 しかし、その予感は、「だれの息子でもない」を再読したことによって、見事に打ち砕かれた。確かに、思い出せば腹は立つことはまだまだたくさんある。だが、それでも父は父なりに懸命に生きていたに違いないのだ。そのことに気が付いたとき、私の父への恨みはきれいに消えてなくなっていた。

 

 私はこれまで、神林長平と言えば火星三部作、これに並ぶのは雪風シリーズで、他ももちろん面白いのだけれど(敵は海賊シリーズで神林先生が見せるユーモアは最高だ)、自分にとっての一番はこれだ!と思っていた。火星三部作雪風シリーズから受けた影響は計り知れなかった(そんなことを言ったら影響を受けなかった神林作品なんてひとつも無いのだが)。私の言語能力を飛躍的に高め(元が低すぎたのでそれでも低いのだが)、思考能力を与え、自分自身の価値観を形成する大きなきっかけになったのが神林長平作品だ。彼の作品を読むまでの私は、いわゆるアダルトチルドレンで、親や周囲の顔色ばかり伺ってきたために、自分というものがなかった。だが、神林作品との出会いが、私にアイデンティティを与えることになった。彼の作品はどれも大切だが、前述の火星三部作雪風シリーズはやはり特別な作品だ。


 そして、神林作品の中でも私にとって特別な作品のひとつに、「だれの息子でもない」は名前を連ねることになった。それだけ、この作品が私に与えた衝撃と影響は大きかったのである。この作品を、父の死後のタイミングで読み直さなければ、私の父への思いは生涯変わることは無かっただろうから。

 

 この作品を世に生み出してくれた神林先生への感謝は計り知れない。幸いなことに、「フォマルハウトの三つの燭台」発売記念スペシャトークイベントのサイン会で、先生に直接感謝の思いを伝えることができた。握手までしてもらった。先生の手は、父のように、とても温かかった。

 

 

 

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